これってセラピーなの?

軽井沢のつぎは、富良野に心がうつった。

ファイルの整理をしていたら、2年前短大の卒業間際に書いた文章(短大の礼拝でお話した原稿)を発見!こういうのを見るとなんだか初心にかえるなぁ。しかし、2年たってもちっとも成長していない自分がいる・・。

江國香織の本に「泳ぐのに安全でも適切でもありません」というタイトルのものがあります。その本のあとがきにこうあります。

人生はもちろん泳ぐのに安全でも適切でもないわけですが、彼女たちが蜜のような一瞬をたしかに生きたということを、それは他の誰の人生にも起こらなかったことだということを、これからも続いていくであろう生活の果てしなさとともに小説のうしろにひそませることができたらうれしいです。
瞬間の集積が時間であり、時間の集積が人生であるならば、私はやっぱり瞬間を信じたい。safeでもsuitableでもない人生で長期展望にどんな意味があるのでしょうか。

人生は「泳ぐのに安全でも適切でもありません」
まったく、そのとおりです。できれば何かにつかまって、できるだけ流れのゆるやかなところをすすみたい。そう思っている自分がいます。それでも、わたしたちは、この安全な場所から、巣立ってこの先なにがあるかわからない川を泳いでいかなければなりません。
これからの人生になにがあっても、ここでの2年間が私を支えてくれるのではないか。そう思います。

瞬間の集積が時間であり、時間の集積が人生であるならば
私はやっぱり瞬間を信じたい。
そんなふうに生きれたらいいけれど、そうもいかないかな。